Mac Pro とは何なのか 最終回 映写技師の不在

曲がりなりにではあるが、私は映画を監督していたことがある。超低予算故にポジフイルムでの撮影で、フイルムのカットを間違えれば粉のようになり、復元不可能な融通の利かない環境で20数本は製作したと思う。そんな私が憧れていたのが、ネガフイルムの存在でだった。編集時にポジフイルムを自在にカットできる、あるいはタイミングを計りオプチカルな合成が出来るプロの監督をうらやましく思っていた。(現像所でネガを修整する担当を「タイマー」と呼ぶが、この方々は編集のプロセスで監督からも一目置かれていた)

やがて映画にデジタルの流れが訪れた。

カメラはHDになり、コーデックは「Raw」に移行されようとしている。とられた映像は勿論ノンリニア編集で行われ、カラーコレクションという分野にまで広がり「タイマー」という職人の仕事を一応個人でこなせるグレードまで達した。この成り行きの速さには驚いたが、機械好きの私には商業映画や自主映画に於いて「コストを下げ、コンテンツのクオリティを上げる」ものと大いに歓迎していた。だから「Mac Pro 2013」で「Final Cut Pro X」で仕事を終え、満足する諸氏には何もいうことはない。

しかし「カラコレ」は出来ない、「DVD/BD」のオーサリングが出来ないとなると話は違ってくる。プロのカメラマンによれば、多くの場合撮影が終わった後は、SDIインターフェイスでスタジオに納品して終了ということになっているらしい。そのオーサリングや厳密なカラコレを行っているのは、Windowsベースでありアップルは完全に蚊帳の外だ、何故なら「不安定で遅いから」である。

さて私のような弱小監督も、巨匠と云われる監督やプロデューサーでも最後に映画を託すのは「映写技師」で、最後のスタッフと呼ばれている。しかし慌ただしい現代、において、時間の合間を削っても映画やドラマを見たいという観客に劇場を提供するのが「DVD」であり「ブルーレイ」であり「ストリーミング」であろう。

アップルは映像の大手に見えて、実は何の力もない。いわば出来損ないの会社である。中途半端なハードウェア設計、偏った編集ソフト、実行不可能なカラーコレクション、そして何よりも「映写技師」の不在である。

「ハードウェア」を持ち上げるために一部の話題をさらったところで、この会社は大事な映画/映像を「ゆりかごから墓場」まで、トータルにプロデュース出来る力もなければ、やる気もない。

かつては「ユーザー」に向いていた視線も、いまやおもむろに「株主」に向けられているのは、私のようなアウトサイダーにもはっきりと透けて見える。この会社がどうなろうと知ったことじゃないが、そろそろ「かどわかされ、裏切られる」時期が近づいてきたようだ。

財布のひもはしっかり締めておき、休日に家族や友人にファミレスで大盤振る舞いをするのも、結構クールな「カッティング・エッジ」かも知れない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA