現世(うつしみ)の意味

自分の映画にこのタイトルを付けたのは、17歳の時だったけれど、今回再編集に関わって下さったスタッフの紹介のバックに、その絵か写真を載せようと「空蝉(からせみ)」の写真や、色んなネットの辞書や詩などを読みあさったが、当時衝撃を受けた意味は何処にも出ていない。

当時、PFFの事務の中田女史は「昆虫植物のことでしょ?」っと誰でも知っているように話してくれたので、僕の思い込みではないと思う。

蝉は、土の中で何年も幼虫としていつの日か来るだろう成虫になって、飛び回る夢でも見ているのだろう。おおむね夏から秋にかけて蝉の抜け殻を見かけることも多い。それは命を達し得た鎧を捨てた証であり、ほとんどの蝉はその生涯を達し得る。

しかしながら、ほんの偶然・稀に、球根や木の根の気まぐれで、蝉の幼虫の下から植物が生育して来ることがある。その偶然が、幼虫を串刺しにするように植物とともに地上に現れ、やがて干からびて命を落とす、その確率はあまりに少ないせいか、写真に収められることも少なく、どちらかと言えばその様子を見た人の口から伝えられることが多いという。専門家の方々はこの「昆虫植物」と呼ばれるものをご存じではないでしょうか。

それが、現蝉(うつせみ)と呼ばれ、現世の哀れと結びつき「うつし身」と呼ばれることがあったと僕は、たぶんラジオで聞いたのではないかと思う。内容も含め、荒れに荒れた映画に、このタイトルを付けるに至ったのはというか、敢えて名付けたのには話題を呼ぶとか、そんな小さなことではなくて、どんどん画一化してルールの中に収まっていく世の中への破壊的な挑戦でもあったような気がする。

PFFの巡回上映の際、、映写機を回して上映してくれた方が「帝都物語」のプロヂューサーで、「帝都大戦」の監督の一瀬隆重さんだった。今思えば、荒俣さんの小説を原作にした、一連の一瀬さんの映画は長谷川監督の「太陽を盗んだ男」のように、まるで日本映画じゃないようなスケール、テイストだった気がする。外国で賞をとる映画もいいかもしれないが、私たち自身がトリップしてしまう映画を見たいと思う。

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