父が私にの残した書

私が物心ついたころ、父は(おとん)は「ジュリスト」とかいう雑誌を購読し、彼の論文の投稿先にもしていた。私は私でSF雑誌「スターログ」に「帝国の逆襲」のストーリーを披露し、ホビットの冒険の映画化を必死で訴えていた。
「刑事コロンボ」のノベルと「宇宙大作戦」の写真集、星新一の文庫本に小峰元の新書版、大量の映画のパンフレットが整然と並ぶ私の小部屋の、ささやかな秩序に割り込んできたのが「ジュリスト」だ。私は「進研ゼミ」のテキストで本棚の秩序に抵抗したが「ジュリスト」の恐るべき繁殖力には到底勝ち目は見えていた。そこで神がティーンエイジャーに与えし、親を打倒する御言葉を吐いた。

「勉強でけへんやんけ!」

事態は面白いように変わったかに見えた。大家さんが増築を認めてくれたので、父の書斎は格段に広くなっていた・・・かに見えた。ある日のこと、帰宅してみると家中の壁(つまり家の平面の部分)が、いや四方が足下から天井まで本棚に変わっていた。全て法律関係、更には書斎兼、オーディオルームだった広い部屋の四方は、ごつい六法全書で埋め尽くされている。
大判の全書全て揃えるとどの位になるのか知らないが、ありったけ詰め込んであった。ただ背丈が合っているので、百科事典の如く厳かで見苦しくはなかった。まあ見栄えはしてたが、正直、父が六法全書を開いているところは見たことがない。高価な見栄っ張りというか、夢の実現だったのか・・・もう「ジュリスト」の増殖は床に繁殖場所を換えていた。

「さらに私は寒いものを見てしまった・・・」

私の勉強部屋の引き戸に、本棚がついている! これから私は本棚を開けて勉強部屋に入ることになったわけである。本棚の裏は「金庫」か「プライベート・バー」と相場が決まってるやんか! もしスティーブン・キングがその場に居合わせたら、さぞ偉大な作品を生んでくれたのに違いない。
「大黒柱は本棚」ちょっとイカしてないが、そんな本を書けるほどスゴイものだった。
訳あって仲の良い親子は、私が20代の頃は絶縁とまではいかないが、会話すれば大げんかになってしまうほど、険悪な状態になっていた。その父は73歳で世を去ったが、その5、6年前に一回死んでいる(心停止になった)。その後ゾンビのように復活するのだが、下記の「水俣病裁判外史」はその頃書かれたもののようだ。出版された後、何故か父が自分でコピーで製本して大阪から東京まで送られて来た。
若干情緒的な話しをすると、製本カバーの上に、のりが張られ、更にタイトルだけが上に紙がのり付けされていた。私は彼が死んでからこれを読んだわけだが、そのタイトルシールを透かしてみると「これは父の自分史です」と鉛筆で書かれてあった。
私は「新潟水俣病」が発表された1965年に生まれ、この文章は澤井裕が35歳の頃からの経緯をまとめたものである。

水俣病外史・澤井裕著

水俣病裁判外史 / 澤井 裕

2 件のコメント

  • もう、リマスターとは呼ばせない ! ディスクからプリントしてもオリジナルを超える、ADDAプロセスを進行中です。

  • はじめまして。
    映画「現世」、東京都または埼玉県で拝見できるチャンスがあれば、お教えいただければ幸いです。
    よろしくお願いいたします。

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