奇跡 ORDET

前回ヒット曲のパターン化について書いたが、その一方テクノロジーの進歩でアレンジやオーサリングの進歩の著しさも忘れてはいけない。
映画の話に戻せば、昔ながらの映画を万遍なく見ていれば、普遍的に見る目は維持できるだろう。
しかし、ついつい新作ハリウッド物や商業ドラマばかり見ていると、もう昔ながらの文法を踏襲した映画にはついていけないのではないかと思ってしまっていた。

つまり切れの良い短いカット割りと豪華なサラウンド音響なしには、退屈してしまうのではないかと。

a36781804b49c95e7834ab5f917224fd-2012-09-14-06-16_1-2012-09-14-06-16_1-2012-09-14-06-16.jpeg

しかし異端児ながら古典の仲間入りをしたカール・ドライヤーの「奇跡 ORDET」を観るに到り、様式美に支えられつつ、その緊張感と本質的なタブーの問題に心臓を串刺しにされる思いだった。
人間の仕草、特に顔の皺だけでこれだけ多くのことを語れるのかと、ドキドキしっぱなしだった。この作品は4:3のスタンダードだが、ヒトの出入りも緻密に計算されており、長回しも飽きさせない。そして肝心の<奇跡>のシーンはこの画角が最も生きるように配置されている。
初めて劇場でこの映画を見たのは、中学校か高校かどちらかだろうか、この<奇跡>のシーンが強く印象に残ったのだろう。自分の「現世(うつしみ)」という映画にもほぼ同じ台詞が多用されている。全く気づかなかったが、ドライヤーに申し訳ない気持ちである。
この映画の凄さは、小さい家族の世界が宇宙を描くスペクタクルに昇華しているところだ。そういう意味では、ジェダイもX-MENも超えていると言ってもいいだろう。エキサイティングな1955年のデンマーク映画だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA