コダクローム

「またですか」と云われそうだが、その意義を書いた文章を用意していたのだけれど書く場の字数が限定されてしまったので、元の文章を公開します。若い方々には、極めて異例な存在だった唯一のフイルムが、デジタルカメラの橋渡しとして「かつて存在した歴史」のお勉強と思って読んで下さい。

唯一の外式発光

イーストマン・コダック(EASTMAN KODAK<EK>)の生み出したコダクロームは約八〇年間に亘り、プロ/アマ問わず愛されることとなったが、フイルムのカラー化の発想が極めて単純、ある意味で実験的な試みであったと推測される。

かつて白黒の時代はのポジフィルムは、光が当たったところが「黒く」、当たらない部分は「白く」残った。この状態だとネガフィルムのようになってしまうので、それを反転させる「リバースさせる」現像を行った、これが「リバサールフイルム」の語源となった。

イーストマン・コダックは反転させる際にベースの薬品に、光の3原色を用いた。おおざっぱにいえば「赤・青・黄」に染色液を染色していったわけだ。これを「外式発光法」と呼び、「コダクローム」だけに使われた現像法であった。

カラー印刷に於ける「シアン」「マゼンダ」「イエロー」「クロマ(註)」、それぞれが白黒の製版を4枚にわけて、それぞれにインクを付けて、印刷する仕組みに似ている。(クロマは黒を表現する印刷特有のいろなので、フイルムには用いられていない)

コダクロームを除く、他のポジフイルムは現像プロセスが容易でコストの安い「内式発光法」を研究しこれに対抗した。現像液の化学反応で「R・G・B」を同時に発色させようという試みである。

結果として成熟したコダクロームは、印刷との相性が良く、特にその「色の抜け方」は他を寄せ付けず、特に広告やナショナル・ジオグラフィックなどビッビどで暖かみのある分野で愛された。一方、ベトナム戦争当時、現地でモノクロネガ現像が出来たため、リアリティを伝えることと即時性の両方を買われて、プロカメラマンのファーストチョイスとなっていった。

映画フイルムとして~僕たちのコダクローム

一方で既にハリウッドでメジャーな映画のフイルム業界で名を馳せていたEKは、コダクロームを二つの分野に提供した。ひとつは名作映画の短縮版や予告編、中には教育用として全編ノーカットのものも存在した(今のセルDVDのような存在だった)。これらには(幅)8m/mもしくは16m/mのものが使われた。

そしてEKとしては当初カレッジの学生の教育向けとして、(幅)8mmもしくは16mmの「コダクローム」を販売した。これらは予想を裏返す売り上げを納め、「個人のアート」として最先端の表現メディアとして評価された。

コストや映画製作環境の違いによりアメリカでは16m/mフイルムが好まれ日本国内では8m/mが普及した。しかし「スティーブン・スピルバーグ」はローコストの8mmフイルムで「未知との遭遇」の雛形のようなものを製作している。

EKが「コダクローム」をパッケージングしてからは、特別な技術が必要なくなったたため、機械に弱い女性層も取り込んで「赤ん坊の生育記録」や「旅行日誌代わり」として使われるようになった。

大手カメラメーカーは、自社ブランドのフイルムをコダクロームに近づける努力をし、小型カメラ製品の充実化を図っていった。欧米では「Agfa」「Bauer」「Beaulieu」「Nizo(現BRAUN)」「Leicina(ライカ)」など、日本製では「Nikon」「Canon」「Minorta」「Nalcom」 「Sankyo」などが、初心者から(価格も)プロ顔負けの製品を巨大なライン・ナップで拡大していった。

コダクロームで花開いたムーブメントは、20世紀で収束することはなく、家庭用ビデオの普及、インディペンデント映画の台頭、そして根本的なところで、スチル・カメラの「デジタル化」に大いに貢献していく。

デジタル文化の橋渡しとしての基本技術

ミレニアム以降デジタルカメラの発展は目覚ましく、あっという間にフイルムを量的にも性能的にも凌駕したと云える。その技術のベースになったのが「コダクローム」だ。当初望まれたのはアナログビデオのカラー撮影が先だった。初期の撮像管は真空管応用したもので、これは長い間放送などで用いられていた。現在はCCD撮像素子、CMOS撮像素子が同居している状態である。

いずれにせよ、真空管からナノ技術製品に至っても高画質化に応用されているテクノロジーは、撮影において「R」「G」「B」の光を個別に集め、後に一枚(一フレーム)のデータとして保存するというプロセスである。これは最も初めに述べた「外式染色法」がベースになっている。

1935年に苦肉の策として編み出されたカラーフイルム構想は、技術はもちろんのこと、画像、映像を巡る文化の原点となった。またポール・サイモンが歌ったように抜けのいい明るさは「コダクローム」を使用していた団塊の世代以上のフォトグラファーにとって、デジタルカメラへの移行の抵抗感はほぼなかったと聞く。

日本では「カラーコレクション」ブームのようだが「オレがその瞬間みたものは、この色だったんだ」という、還暦を過ぎたプロカメラマンに学ぶべき時代のような気がする。

イーストマン・コダックの「コダクローム」は1935年に始まり2010年に全ての終焉を迎えた。しかし、その製品の残したものは作品だけでなく、多元的なスピリットを刺激し続け、広範囲にわたり文化的なメソッドを与えてきたし、今後もことあるごとに取り上げられるだろう。

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