〜黄昏・On Golden Pond〜

「引っ越し魔」を自認する私が、十年間も同じ部屋にダラダラと住み続けてしまった。生活の様々な「垢」を落とすにはいい区切りだと、引っ越すことを決めた。世田谷区の三軒茶屋は人情に厚い街として知られているが、特に地元と深い繋がりがあったわけでもなく「ひとつの例外」を残して立ち去ることに抵抗はない。

心残りの「例外」というのは「鈴木さん」とのお別れだ。(お・ば・さ・ん)を絵に描いたような、古希前のご近所さんだが、この団地に入居した当時から、珍しくとても親しいお付き合いをさせて頂いた。

とにかく家事一般の能力に長けた方で、暇があれば片付けやお料理などをして頂いた。いつの間にか実の母(おかん)より、何でも話せる「東京のおっかさん」になっていた。かつて伊藤忠商事で働き、今は介護の仕事をされている、働く女性が「オフィスレディ」と呼ばれた年代の方だ。

しかし3年ほど前から、私がグラフィック・ボードの仕事に手を出して「ワーカーホリック状態」に陥ってから、こころある会話をする機会が全くなくなってきていた。「忙」「忘」という文字は「心を亡くす」という意味から来る言葉らしいが、私はストレスに押し潰されかけて壊れる寸前のロボットと化していた。

そんな折、おばさんの旦那さんに癌が見つかり、余命4年以内という宣告を受けたことを聞かされた。ご本人は意識されていないようだが、表情や態度に普段の明朗さに陰りを感じるようになった。私が数ヶ月後に越すことは決まっており、相変わらず生活はロボット状態だったが、何か本気でおばさんに贈り物を残してから引っ越したいと考えていた。

そこで思い出したのが、おばさんの言葉で「私、一度も映画を見たことないのよ、若い頃は不良のすることだと思ってたし、時間の無駄遣いだから」というセリフだった。

映画にどっぷりはまって生きてたきた私が私らしく残せるものは、その体験を共有することだと思った。それに大体我が家には、プロジェクターとスクリーンにサラウンドシステムがあるではないか。余りに映画から遠ざかっていたため、全てセットが整っていることすら遠い存在になってしまっていた。

それで半ば強引におばさんにお時間を作って頂き「一緒に映画を見ましょう」という約束を取り付けた。これまで無数に観てきた映画の記憶を辿って、一緒に見る映画は何がいいか知恵の輪を解くように考え、考え続けて、おばさんが於かれている一番大きなものは旦那さんとの残された時間だと思い至った。

選択を誤れば悲惨な想いをさせてしまうかと考えつつ、大きな賭けだと思って選んだ映画が、前回のブログで一部紹介した「On Golden Pond/黄昏(たそがれ)」だった。

AmazonにDVDを注文し、何年ぶりかにスクリーンを下ろしプロジェクターとオーディオを調整して、おばさんといっしょに暗闇で語られる物語をスタートさせた・・・だが我を忘れて瞬時に別世界へトリップしたのは私の方が早かったと思う。テレビでは毎日立て続けに海外ドラマを見ているし、ちょくちょく本編も目にしていた。

しかし、かつて萩原朔美が語っていた「テレビは太陽・映画は月光」という意味を身を以て体験した。みずから光を放つテレビと比べて、スクリーンに反射された光は、壮大な夜空を照らす月のように語りかけてきた。黄金に輝く池の上やほとりの小屋で繰り広げられる、老夫婦、その娘や少年の姿。そこに憎しみは存在せず、相手をいたわりたいという良心が、ついすれ違ってしまい諍いの積み重ねになっていく。

プロローグの1時間が終わって、後半に入ると私は幾度も眼鏡を外し涙を拭っていた、果ては声まで出していたかも知れない。しかしこれは悲しさではなく勇気や愛情によって、家族のもつれが解けていく過程を喜んでいく、うれし涙だったと思う。

医学分野で、涙が出ると特別な物質が脳に流れ込み、とてもリラックスした状態になると聞いたことがあるけれども、いつの間にか義務と論理だけに占められていた「バッド・ロボット」の私が、当たり前のハートを持った人間に生まれ変わっていることに気がついた。

エンドタイトルが流れるころ「どうか神様がおられるなら、このまま時間を止めて下さい」と祈っていた、がスクリーンの夕焼けと共に至福の時間は終わった。

電気をつけて、しばらく私たちは実人生を認識するまで寡黙にしていたが、その後私とおばさんは「あそこが良かった」「ここの気持ち分かるよね」とティーン・エイジャーの如く、映画を振り返って多弁になっていた。若者と違ったのは、私たちの目が真っ赤で、笑いながらもシーン思い出しては涙を拭いていたことだった。

私はこの映画を高校生の頃に観ている。デイブ・グルーシンの音楽、背景の美しさ、そしてジェーン・フォンダに魅了されたのは良く覚えていた。だが今回、人生って面白いなと思ったのは、年齢を重ねないと決して動かない心の部分が確実にあるという発見だった。押し並べて客観的に人物を見ていたティーン・エイジャーの頃に比べると、70歳を越えたキャサリーン・ヘップバーンの気持ちすらストライクに受け止められたのだ。

お土産を置いていくつもりが、うれしいしっぺ返しを受けることになり、明らかにあの日以来、私は違う人間になったような気がする。DVDをプレゼントして別れを告げ、旦那さんの待つお宅に帰る直前に、おばさんが大きな声で言って下さった言葉が嬉しかった。

69年生きてきたけれど、こんなに感動したのは初めてよ、

ありがとね!

正直、現実に生死の問題を抱えているご家庭の方に、死を目前にした夫婦のドラマをお見せして大丈夫だろうか?という懸念があったのだけれど、良く出来た映画のおかげで選択を間違えずに済んで本当に良かったと思う。

生き方を改めるきっかけなんて、石ころのように落ちているんだなと、つくづく思う。でも鈴木のおばさんとお別れする辛さを、さらに膨らませてしまったのも事実だ。これもひとつの物語として受け入れよという、映画の神様のレトリックなのかも知れない。


2 件のコメント

  • このブログの中で、一番読んで頂きたかったのがこの一文です。ご丁寧なコメントを頂き、本当にありがとうございます。自分で云うのも恥ずかしいですが、時々原点に返ろうとこの文書を読み返すと、ふと涙がこぼれます。
    この出来事は「ジェーン・フォンダ」とひとつにしてまとめるつもりでしたが、シチュエーションが異なるため「踏み台」として独立しました。
    お陰で苦労しましたが、この2つの文章はは書き手として宝物のようであり、それに目を付けて下さったことに心から感謝をいたします、ありがとうございました。

  • 長年使い続けている私の初代MacProも今年の猛暑で悲鳴をあげていました。
    発熱と電気代を押さえるためにグラッフィクカードをなんとか出来ないかな、とwebをうろうろしていてこちらのブログにたどり着きました。
    いろいろと役に立つ情報があり、また文章のまとめかたも秀逸でどのような方が書かれているのかと興味を持ち最初から読ませていただいている時にこちらの記事を拝見しました。
    そして『鈴木さん』とのエピソードに心を打たれました。
    貴殿の優しさと、その行為でご自分も転機を迎えられるという部分に感銘を受けました。
    私も映画が好きですがこの『黄昏』は気にはなっていたものの、まだ見ていなかったので早速購入し見てみようと思っています。
    『うつしみ』も見れる機会があるなら、ぜひ一度観てみたいと思います。
    素晴らしいエピソードありがとうございました。
    突然のコメント、お許しください。

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